リテラシー

 株価水準がなんなのか?

 最終的には株式の売り買いする需給で決まので、人気投票と同じ面もあるが、一定の理屈が標準化されている。ここらあたりのリテラシー教育は誰がなすべきなのか?一般的には、まず誰も教えない、秘密めいた事柄となっているようだ。

 何故なのか?小中学校の算数レベルの算式で足りる概念なのだが、理解しているだろう連は、一般的に誰も喋ろうとはしない。たぶん、ひとの欲と不安が形成する、不確かなバランスの上成り立つ概念なのでなのだろう!

 だから、賭場のいかさま博打の盆茣蓙の床下から、針で賽の目をつつくくらいのことやりそうな、危なっかしい類のことであり、リテラシー教育には似合わない。経験と知恵で獲得すべき範疇なのだろうことをわきまえてのことだろうことが推測できる。

 

 新ニーサが導入され、国民の1割以 上が、パチンコ感覚で株式取引にのめり込んでいるようだ。インフレのさざ波がデフレ禍に陥って30年経過した倭の国にも押し寄せ、集団構成割合が1割から2割への遷移したとき、劇的な変化が発現しそうである。