早朝ランニング

 3年以前、地方都市の中央公園で毎朝実施されているラジオ体操を知って、毎朝通った。時には日の出時刻に年配者が集う昔ながらのラジオ体操に馴染んだ。

 どんないきさつで、それを知り、どんな動機で通い続けたのかが定かで無くなっている。

 現在は公園のラジオ体操は、テレビ体操となり、それも間引いての実施となっている。公園通い続けたときは、通うこと自体が目的化していたようだ。

 目的化していたための行為自体は、現在よりも遥かに忠実に整然と日々こなされていた、柔軟体操が日々含まれていた。日々コンスタントに実施されるストレッチ体操の効能を再確認することになった。最近、衰えを意識し始めていた。年齢相応に限界を感じていたのだが、どうもその原因がストレッチ体操の有無のようであることに気付いた。

 もっとも、バトミントンで右膝を脱臼したりしての安静時を挟んでいたりするが、運動後や就寝前に意識して行う柔軟体操のおかげで、萎えていた心持ちも頬にあたる快い風に胡散霧散してしまった。早朝の陽のひかりはひとに命を新たに宿すようである。