ベンチプレス

 午後までかかって、マーケット分析を行った。本日は旗日であり、国内株式相場がお休みなので、バッチ処理を起動したのも、8時半を超えていた。処理がスループットするまでの手空き時間を使って、暇つぶしを実施した。いつもなら、時間を切って、ストレッチ体操、朝食のサンドイッチ作りとコーヒードリップ、スポーツウエアの洗濯とバルコニー干場への吊り下げなど、テキパキ?と実施し尽くしていく。

 寝起きに体が重く感じ、その流れで早朝ランニングは、夕方ジム終了後にペンディングを決め込んだ。勢い、ストレッチはジムで行うことになり、間延びした朝のひとときとなった。

暇つぶしとは何か? 他人の不幸は密の味と言う? 吐き出した言葉の中にその意が加わる。 ネットで表示される言葉は、書き込んだ時点で、生き物となり、読み手の心理状態で相手のこころの襞にくい込む。

元々、理を説いたと言うよりも、物事の生業様態を解析していく過程の列挙であった。己が不条理に感じた物事を詳らかにしてゆく過程の道筋を記すことで、対象物の本来的な価値と、現実に示された、ひとの欲が作った価値との差異を明らかにした。あくまでも、自身への欲求充足ための行為である。

ただ、欲に眩んだ眼には、虚栄の姿が映るだけなのが世の常にであり、吉田兼好あたりが連れずれにしていそうである。

 夕方ジムで元町医者の指導を受けた。彼にことばを掛けるのはわたしくらいであり、周りに遠慮が発生するタイプの人種である。付き合い方に一工夫必要かも知れない。荷重の試行を眺めていた彼が言った。

『重りをもう少し軽くした方がいい!』

『いっぱい、いっぱいで何かの調子で筋を痛める!』

 学生時代に格闘技の選手をこなしていた立派な体格を嘗て披露していた、病み上がりのトレーナーのことばに素直に従った。5kgx2落とそうとすると、

『あと、2.5加算した方が良い!』とのことで、2.5kgx2を追加を素直に従った。しばらく、試技眺めていたが、日々の食事の話しを問わず語りで開陳していたが、気付くと入り口のストレッチエリアで柔軟体操をしていた。試技終了時には姿は既に消えていた。

 寂しさの漂う孤高の頂を持つ、所謂嫌われ者であるが、なんとなく気が合うウイークタイドな知人である。